嫌なことを嫌と言えない世の中
どうも。
以前、映画「ペンギン・ハイウェイ」の感想を書いた。
観ている方が多いからか、このブログへのアクセスも少し多く、コメントしてくれる方までいた。
ところが、先日twitterで気になるつぶやきを見た。
「ペンギン・ハイウェイを観て悲しくなった」という内容(掲載許可を得ている訳ではないので表現を変えている)だった。
どうやら、お姉さんのおっぱいの描写や表現を「女性が性的に消費されている」と捉えたようだった。
このつぶやきに対し、多くの批判コメントが寄せられていた。
「そんなに酷い表現ではなかったし、そもそも少年の純粋な未知への興味を描いているだけなのでは」
と疑問に思ってリプ欄を見たのだが、最悪だった。
「男性と付き合ったことある?」とか、
「その感性でよくここまで生きてこられましたね」とか、
挙げ句の果てには、
「まんさん(笑)」などという明らかな中傷コメントを送りつけている人までいた。
私はそのコメントたちに悲しくなった。
◼️嫌なことを嫌と言うと攻撃されるネット社会
最近twitterを利用していて感じるのは、自分と考え方が違うと攻撃する人種が世の中には多いということ。
確かに、その人の性表現への過敏さや書き方の行き過ぎ感は少々感じられた。
だが、単純に感想をつぶやいただけで批判や中傷されるというのかいかがなものか。
「そうか、私はそうは思わないし面白かったなぁ。」
で済ませないものか。
とは言えかくいう私も学生時代に、好きだったタレントへの嫌悪コメントに対しリプライで攻撃していた時期があった。
今となっては黒歴史だし、反省している。
自分がいいと思ったものや人が批判されていると、思わず相手を説得したくなってしまうのだ。
つまりは自分の感性の押し付け。
「あんなにいいものなのに」「あんなにいい人なのに」
と暴走してしまったのだった。
だが、各個人の「生理的に受け付けない」という感覚はなかなか変えられない。
それを学んだので、今は、
「そうなんだ。私とは合わないな。」と思うだけにしている。
だが、世の中には自分の感覚が正しいし、何なら常識だ、と思っている人が多すぎる。
最近私がよく見るのは、女性の主張に対する男性の中傷コメントだ。
意見するとか説得するようなものではなく馬鹿にしたり中傷するコメントの多さに気が滅入る。
ちなみに、女性差別問題に深く踏み込もうとするとその闇の深さに絶望して、自分まで気持ちが暗くなってしまうので、普段私は深入りし過ぎないようにしている。
そのコメントたちを見る度、
「そういうとこだぞ」
と言いたくなる。
◼️マイノリティでも主張はやめるな
「じゃあそんなツイートするな」
という人がいるが、それはどうなのか。
最初に挙げた女性のつぶやきのように、自分の考えを主張することは、こういう人もいるよ、という存在の主張でもあるように感じる。
叩かれることを恐れ声を上げずにいると、マジョリティに存在を認識してもらえない。
そんな人はいない、ということにされてしまうのだ。
声を上げることで、同じ考えの人が仲間を見つけることができる。
声を上げることで、社会に認識してもらえるようになる。
主張することはとても大切なことだ。
マイノリティは主張を止めないで欲しい。
そしてそれを潰すような行為はどうか即刻やめて欲しい。
ではまた。